2011年4月1日
 
 
 
震災から約3週間が経過したこの日、東北本線不通のため上越・磐越西線を迂回して運転されていた石油輸送を撮りに行きました。
各方面の対応も早いもので、過去のメールを読み返してみると迂回輸送は3月26日から始まっていたようです。
 
 記憶が正しければ4月1日から2往復運転になってたと思いますが、朝新宿発・昼会津若松着のバスで行ったのでこの日の撮影は1本のみ。
 
バスは順調に東北道を進みほぼ定刻で会津若松に到着。
 電車も"この時点では"もちろん定時で走っていたので予定通り撮影地にも着けた...のですが...
 
2往復目の上り9294レを牽引していたDD51-757+DD51-835のペアのうちDD51-835が故障し、磐梯町で抑止中との一報が。
 
会津若松のDE10が救援に行くか?軽傷なら応急処置だけしてすぐ出すか?
いろいろな憶測が飛び交った記憶がありますが、JRが選んだのは対向で来ていた9293レの機関車を9294レと入れ替えるという選択肢でした。
 
9293レなら石油下した後の返空列車。それに加え下り勾配ですから故障していないDD51-757だけで牽引できるという判断だったのでしょう。
 
となると撮影予定の9293レも当然遅れます。猪苗代で停車して機関車を切り離し、9294レの待つ磐梯町へ回送。
逆に磐梯町から故障した835+757のペアが猪苗代に回送され機関車交換完了。
 
 日没コールドも頭によぎりましたが、2時間遅れでなんとか日のあるうちに通過してくれました。。
サイドは甘くなったもののエロ光で立体感も出たからこれはこれでよかった...のかな。
 
予定していた帰りのバスにはもちろん乗れなかったので新潟に出て新幹線で上京。
浦和の人身事故もあり、家に着いたのは25時半すぎでしたとさ(苦笑)
 
 
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